福岡高等裁判所 昭和28年(う)3093号 判決 1954年5月29日
控訴人 原審検察官 伊藤嘉孝
被告人 中園与三郎
弁護人 菅理虎雄
検察官 中倉貞重
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役拾五年に処する。
原審竝びに当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は被告人竝びに弁護人菅野虎雄及び原審検察官伊藤嘉孝各自作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるからいずれもこれを引用する。
検察官の控訴趣意第一点及び第二点について、
被告人に対する本件公訴事実の第一は、被告人は一定の職業なく無為徒食して金銭に窮していたものであるが、昭和二十八年七月二十五日午前一時十分頃、三養基郡田代町大字下町三四七番地西依善雄方に窃盗の目的を以て侵入し屋内にて金品を物色中、家人に発見されたためその目的を遂げず逃走し、右西依方より南東約百米位の同郡基里村大字飯田字桜町久保山清市所有の水田附近まで引返えした時後方より追跡してきた鳥栖地区警察署田代警部補派出所刑事係巡査烏田猛(当時三十八年)に誰何され、慌てて逃げのびんとしたるも組付かれ将に同巡査より現行犯人として逮捕されようとしたところ、これを免かれるため、右水田中において約十五分間にわたり抵抗格闘を続けるうち、同巡査の執拗なる逮捕を免かれんとして突嗟に、寧ろ、同巡査を殺害するに如かずと決意するに至り渾身の力を以て水田中に同巡査を組み敷き半ば乗りかかるようにして、両手を以て同人の後頭部を力任せに押えつけてその顔を泥中に没せしめたまま、苦しみもがくもその手を緩めなかつたため、遂に同日午前三時頃その場において同巡査を窒息死に至らしめ、以て殺害して同巡査の公務の執行を妨害したというのであつて、強盗殺人罪と公務執行妨害罪の起訴事実であるのに対し、原判決は、(一)強盗殺人の点は、被告人の鳥田巡査に対する逮捕を免かれるための殺害行為は窃盗未遂の現場でなされたものでないことは勿論、その窃盗の機会継続中に行われたものとは認められないとしてこれを窃盗未遂(これを公訴事実第二の常習特殊窃盗の一部と認定)と単純殺人の併合罪として認定し、(二)公務執行妨害の点は、鳥田巡査が被告人を逮捕しようとした行為は適法な職務の執行行為とはいえないので、公務執行妨害罪は成立しないとしていることは所論のとおりである。
そこでまず、被告人の本件所為が、強盗殺人罪を構成するものであるかどうかの点を検討すると、原判決挙示の証拠によると、被告人は家族や、近所の者に対し、久留米市内の新聞社に記者として夜間だけ勤務しているような風を装つていたが、その実一定の職もなく、無為徒食して金銭に窮したため原判示第一のとおり昭和二十八年五月下旬頃から同年七月二十二日頃までの間、二十三回に亘り、いずれも午前一時頃から午前三時頃までの深夜、肩書居町や隣接町村で常習として他人の住居に侵入し、屋内で食糧品や日用雑貨等の窃盗を続けていたものであるところ、同年七月二十四日夜も出勤するような風を装つて久留米市に行き、そこでパチンコ遊技などをして遊んでの帰途、同夜十一時半過ぎ頃、鳥栖駅に下車したとき、窃盗をしようと思いたち、地理に詳しい判示田代町方面に行く途中、道路沿いの杉木立の間に、下駄を列べ、その上、ぬいだ看物を帯でしばつておき、褌一つの裸姿で、はだしとなり懐中電燈と風呂敷一枚を携えて田代町大通りを横切り露地から裏に廻わつて、翌二十五日午前一時十分頃判示西依善雄方裏口から屋内に侵入して同家八畳の間で金品を物色中、家人に発見されたため、一物をも得ずに逃げ出して、元きた道を約百米位引き返えし、同町サロンパス工場附近の崖下で一時間ばかり休んで、さらに他家に窃盗に這入ろうかどうかと考えたが結局、今夜は止めて自宅に帰ろうと思い、前記のとおり褌一つの裸姿ではだしのまま、空風呂敷を首にかけ、手に懐中電燈を携えて犯行後、約一時間半位経過した頃そこから東方に約百数十米位距てた昼なお淋しい小道を歩いていたところ、後方から判示鳥田巡査から懐中電燈で照らされ、振り返えると同時に「誰か」と声を掛けられるや、直ちに逃走し、同巡査に追跡されて南東の方に低くなつている段々畑をつつきり、約八十米走つて判示水稲田の中に逃げこんだとき、追跡してきた同巡査に組付かれ、そこで約十五分間にわたり格闘を続けるうち、殺意を生じ判示のとおりの方法により遂に同巡査を殺害した事実、そして判示西依善雄方家人は被告人が逃走した後、これを追跡することもなく、ただ妻シヅヱが、同日午前二時頃自宅から約百米位距てた田代町警部補派出所に赴き鳥田巡査に対し、金品は盗まれなかつたが自宅に泥棒が這入つた旨の届出をしたので同巡査は、十数分後、私服で同人方に行き、約二十分位被害状況を調査して、同家裏口附近のぬかるみの地面や、座敷の畳などについていた足跡を調べてそれが素足の足型であることを確かめ、且つ、シヅヱから犯人の人相、風体、背格好こそきかなかつたが犯人が懐中電燈を携えていることを聴き知つた上、「一応この附近を捜してみよう、泥棒を捕えたらまた忙しい、上町から一廻して来る」と言い残して、同日午前二時三十分すぎ頃、同家を辞して犯人の捜査に出掛けて行つた事実を認定することができる。
ところで、刑法第二百三十八条にいわゆる準強盗罪における暴行又は脅迫は、窃盗の現場又は、その機会の継続中においてなされることを要するものと解すべきであるから、本件において準強盗による強盗殺人罪の成立するためには、逮捕を免かれるために被告人のした殺害行為が、判示窃盗未遂の犯行の現場又はその機会の継続中になされたものでなければならないところ、前認定の事実によつて明らかなとおり被告人は窃盗の未遂に終つた犯行現場の西依善雄方から約百米位距てた判示サロンパス工場附近の崖下まで逃げたとき、別に被告人を窃盗犯人として追跡してきた者もなく、そこで一時間位も休んで窃盗を断念して帰りかけ、さらに、そこから百数十米位はなれた判示地点にさしかかつた際、届出によつて窃盗未遂の犯罪の発生を知り犯人を捜査中、たまたまそこを通り合わせた判示鳥田巡査に誰何されて逃走し、逮捕を免かれるために同巡査を殺害したものであつて、被告人の該殺害行為は判示窃盗未遂の犯行の現場でなされたものでないことは勿論、右犯行の現場から窃盗犯人として追跡をうけているときになされたものではなく、到底窃盗未遂の犯行の機会継続中においてなされたものとも認めることができないので、被告人の右所為は逮捕を免かれるためになされた殺害行為ではあつても、これを以て所論のように準強盗による強盗殺人罪を構成するものということはできない。してみれば原判決が被告人の右所為を窃盗未遂(判示第一の常習特殊窃盗の一部)と単純殺人の二罪に分けて認定したことは正当であり所論のように事実を誤認し又は法令の適用を誤つた違法は存しない。この点の論旨は採用するに由ない。
つぎに被告人の本件鳥田巡査を殺害した行為が同時に公務執行妨害罪をも構成するものであるかの点について案ずるに、誰何されて逃走しようとした者が、罪を行い終つてから間がないと明らかに認められるときはこれを現行犯人とみなして、何人でも逮捕状なくしてこれを逮捕することができることは、刑事訴訟法第二百十二条第四号、第二百十三条の規定するところであるから、右の場合、司法警察職員たる司法巡査が、逮捕状なくしてこれを逮捕することは、その適法な職務の執行行為であること、もとより多言を要しないところである。
ところで、前段既に認定した事実によつて明らかなとおり、鳥田巡査は届出により判示西依善雄方に窃盗未遂の犯罪の発生したことを知り、犯人ははだしで懐中電燈を携えていることを唯一の手懸として犯人捜査中、右犯行後、間もない約一時間半位を経過した頃、犯行の現場から二百数十米位しか離れていない昼なお淋しい地点において、午前二時半過ぎ頃の深夜、夏とはいえ褌一つの裸体で首に空風呂敷をかけ、しかも手懸りどおり、はだしで懐中電燈を携えた異様の風体をして歩いて行く被告人の姿を目撃して誰何したところ被告人が突如逃走しようとしたので、てつきり前記窃盗未遂の犯人と認めて追跡しこれを逮捕しようとしたのであつて、この場合、誰何されて逃走しようとした被告人は諸般の情況からみて、罪を行い終つて間がないものと明らかに認められ、現行犯人とみなさるべきものであるから、鳥田巡査が被告人を逮捕しようとした行為は前示説明したところにより準現行犯人の逮捕として同巡査の適法な職務の執行行為であることが明らかである。そして原判決挙示の証拠によると、なお、被告人は、判示地点において鳥田猛が深夜、自分を誰何し、判示のとおり約八十米も追跡して水稲田の中でも飽迄逮捕しようとしたことなどから、同人は私服ではあるが、警察官であるかもしれないとの未必的認識を有していたことが認められるから右鳥田巡査の逮捕行為に対し判示のとおり暴行を加えて同巡査を殺害した被告人の所為は、殺人罪の外、これと競合的に公務執行妨害罪をも構成するものといわねばならない。
しかるに、原判決が本件の場合、被告人を本来の意義における窃盗の現行犯人と認め得ないことは勿論、窃盗の犯罪を犯して間がないことが明白なものとして準現行犯人と認めることも妥当でないと解した結果、鳥田巡査としては被告人に対し、職務質問をするのは格別、これを現行犯人として逮捕する権限がないので、逮捕しようとした行為は適法な職務の執行行為といい難いとして結局、公務執行妨害罪の成立を否定したのは、法令の解釈適用を誤つた結果、事実を誤認するに至つたもので、その誤が原判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決はこの点において刑事訴訟法第三百九十七条第一項、第三百八十二条に則り破棄を免かれない。論旨は理由がある。
被告人の控訴趣意について、
しかし、記録を精査しても、原判示犯罪事実認定の証拠に供された被告人の司法警察員に対する各供述調書中の供述が、所論のように、司法警察員の誘導若しくは詐術によつてなされ又は強制、脅迫などによつてなされた不任意の供述を録取したものであることは認められないので、これを証拠に採用したことに少しも違法の点はない。そして原判決の挙示した証拠を綜合すると、被告人が判示西依善雄方で窃盗未遂の犯行をしたこと、判示のような経緯で判示鳥田巡査に誰何さるや逃走し判示水稲田の中で、追跡してきた同巡査に組付かれて逮捕を免かれるために格斗中、殺意を生じて判示のとおり同巡査を死に致して殺害した事実を認めることができるし、記録を調べても、右の事実に誤はないので、被告人の控訴は理由がない。
以上説明したところにより検察官の控訴は理由があるので検察官竝びに弁護人の量刑不当の主張に対する判断を省略して原判決を破棄した上、刑事訴訟法第四百条但書に従い、更に判決をすることとする。
当裁判所の認定した事実竝びに証拠は、原判示第二の事実中、「同日午前三時前頃」とあるを「同日午前二時三十分過ぎ頃」、と「後方より国警佐賀県鳥栖地区警察署田代警察部補派出所勤務巡査鳥田猛に誰何されたので、逮捕されるものと直感し、東南方に約八十米逃走した後」とあるを、「後方から右犯罪の発生を知つて犯人捜査中の国警佐賀県鳥栖地区警察署田代警部補派出所勤務の巡査鳥田猛に誰何されて逃走するや、同巡査において諸般の情況から右犯罪の現行犯人とみなし、逮捕しようとして追跡してきたため、東南方に約八十米逃走して、」と竝びに末尾に「以て殺害し」とあるのを「以て殺害するとともに同巡査の公務の執行を妨害し」とそれぞれ訂正する外、原判示各事実竝びにその証拠と全く同一であるからこれを引用する。
そこで、右の事実に法律を適用すると、被告人の判示所為中第一の常習特殊窃盗の点は、盗犯等の防止及処分に関する法律第二条第四号(刑法第二百三十五条及びその未遂罪)に、第二の殺人の点は刑法第百九十九条に、公務執行妨害の点は同法第九十五条第一項に該当するが、殺人と公務執行妨害とは一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、同法第五十四条第一項前段第十条に則つて重い殺人罪の刑に従い、所定刑中、有期懲役刑を選択し、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文第十条により、犯情の重い殺人罪の刑に同法第十四条の制限に従つて法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人を懲役十五年に処し、原審竝びに当審における訴訟費用は、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により被告人をして全部これを負担させることとする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判長判事 西岡稔 判事 後藤師郎 判事 大曲壮次郎)
検察官の控訴趣意
第一点原判決は事実誤認の違法がある。
一、原審は本件公訴事実中、強盗殺人罪並に公務執行妨害罪の起訴について(1) 強盗殺人の点は、被告人の鳥田巡査に対する逮捕を免れるための暴行即ち本件殺害の行為は窃盗未遂の現場でなされたものでない事は勿論、窃盗の機会継続中に行なわれたものとは認められないとして窃盗未遂と単純殺人との併合罪として之を認定し(2) 公務執行妨害の点は鳥田巡査が被告人を逮捕せんとした行為は適法な職務執行行為とは云えないと判示して犯罪の成立を否定している。
二、然し乍ら右は事実の認定を誤つたものである。証拠を綜合すれば被告人の鳥田巡査に対する本件殺害の行為は鳥田巡査が被告人を原判決掲示事実第一の冒頭記載の窃盗未遂罪の犯人として逮捕せんとして追跡中右窃盗未遂事件発生後間がない時刻に犯行現場附近に於て逮捕を免るる目的で為されたものであり前記窃盗未遂の機会継続中の行為であると認定すべきものである。
(一) 鳥田巡査は被告人を前記窃盗未遂事件の犯人として逮捕すべく捜査追跡中であつた。即ち原判決も認定している如く、(イ)被告人が西依方に窃盗の目的で侵入したのは、七月二十五日午前一時十分頃、(ロ)西依シヅヱが派出所に被害届をなしたのが午前二時頃、(ハ)鳥田巡査が西依方に被害調査に赴いたのが午前二時十五分頃、(ニ)犯人追跡に向うべく西依方を辞したのが午前二時三十分頃である。然して証人西依シヅエの証人訊問調書に「鳥田巡査に足跡があることを説明しなお犯人は懐中電灯を持つていたと云うた。巡査さんは泥棒を捕えたら又忙しい、上町から一廻りして来ようと云い乍ら出て行つた」旨の記載、西依シヅエの司法警察員に対する第一回供述調書に「その時懐中電灯の灯りが下を向けてピカツピカツとしたそれで泥棒と思つた。」旨の記載及び同人の司法警察員に対する第二回供述調書に「タンスの前から恰度座布団一枚丈の隔りがあつて泥棒の足跡が両方二つはつきり残つていた、次の間の畳の上には歩いた足跡が四つ残つており一つは横向きになつたと思はれる足跡があり計七ツの足型がはつきりついていた、その足跡も素足の足型で指の型が立派についていた、この七ツの足跡は鳥田刑事が夜来た時よく見て貰つた」旨の記載、更に西依善雄の司法警察員に対する供述調書に「鳥田巡査は表入口の処から足型を辿つてタンスの前まで、それから裏手口の方等電燈でよく調べていた同巡査は自分に対し犯人は近所の者だと言い一応この附近を廻つて捜して見るけんと云うて私方を出て行つた」旨の記載を綜合すれば、鳥田巡査が西依方窃盗未遂犯人は、(原判決は鳥田巡査は窃盗犯人は懐中電灯を持つた男であるとの認識しかなかつたと認定しているが)、(1) 懐中電灯を携行し(2) 裸足である事及び(3) 足跡の大小形状をはつきりと認識し乍ら、此の犯人の追跡に向つた事実が明らかに認定出来る。
次に鳥田巡査の警察手帖には「昭和二十六年十一月二十七日午前一時三十分元鳥栖町公安委員中園与三郎検挙」と記載されており同巡査の一九五三年職員手帳五月八日(金)の欄に「朝所長殿が奥さんが聴込んだ中園の犯行と間違ひないと桜町諸岡方盗難犯人と同一と目撃したとの話しに捜査するも不明」とある処よりすれば鳥田巡査は被告人中園の容貌体格、手口、足跡等を熟知して居たことが推認せられるので前掲諸証拠を綜合すれば鳥田巡査としては本件窃盗未遂事件の現場に臨み足跡を調べ手口を考へて犯人は被告人中園であるまいかと疑つていたことが認められる。被告人中園が原審公判廷に於て鳥田巡査とはお互に全然未知の人である旨供述していることは右記載に照して措信し難い。
而して同巡査としては西依方を出て捜査に着手し、サロンパス工場横の細道が窃盗犯人が良く使用する通路である事をかねがね知悉していたので先ず直ちにサロンパス工場そばまで行つて見たのである。当夜は証人西依シヅエに対する証人訊問調書の「その夜は月夜だつた。見通しは相当見えていた。満月ではなかつたが綺麗な月だつた」旨の記載より見れば月夜で月光で見通しもきくので既にサロンパス工場そばまで来た時前方百三十一米(原審裁判所検証調書添付図面記載距離)の地点を、褌一つの裸ではだしで風呂敷を首にまきつけ、懐中電灯を持つて歩いて行く人影を目撃した筈である。これが原審裁判所作成検証調書添付図面記載の実距離及び被告人の検察官に対する供述調書中「十五分間位鳥田巡査と格斗した」旨の記載並に医師斉藤健之助作成の鑑定書記載中死亡推定時間等につき綜合判断した結果より推定して大体午前二時四十分頃である。
斯かる真夜中に人通りのない人家を離れた淋しい小道を被告人中園の前記の如き異様な風態をして歩いて行き且懐中電灯を持つている点及び裸足である点を現認し、鳥田巡査としては直ちにこの人影こそ西依方の窃盗未遂犯人であるとの確信を高めたであらう事は何ら疑を容れる余地はない。
そこで鳥田巡査はその人影に近づいた処その人影は同巡査が現場の足跡、手口等よりして嫌疑をかけていた被告人中園与三郎その人であることを確認したのである。そこで被告人中園こそ当夜の西依方窃盗未遂事件の犯人に相違ないと確信したものの一応被告人に対し「誰か」と誰何した処被告人は突如畑及水田中を懸命に逃げ出したのである。誰何したこと及び誰何されて逃亡したことは被告人の検察官並に司法警察員に対する各供述調書の記載により明白であり原審も之を認定する処である。前述の如き事情の下に於て誰何されて逃走を企てたので鳥田巡査としては茲に西依方窃盗未遂事件の準現行犯として逮捕しようとして被告人中園に組付いて行つたのである。
(二) 然るに被告人中園はその逮捕を免るる目的を以て鳥田巡査をその場に於て殺害したのである、逮捕を免るる目的を以て殺害したことについては原審も之を認定する処であり原審公判記録に表れた諸証拠に照して明白である。
(三) 次に鳥田巡査が被告人を逮捕せんとした時刻は西依方に於ける窃盗未遂事件発生後間がない頃であり逮捕せんとした場所は窃盗未遂事件の現場の近くである。この点に関する原審認定を援用すれば窃盗未遂の犯行は七月二十五日午前一時十分頃であり鳥田巡査が被告人中園を発見して誰何し逃走せんとする被告人の逮捕に着手したのが午前三時頃である。なほ被告人の検察官に対する第二回供述調書中の「自分はサロンパス工場きわの崖の下の処で約一時間位休憩した、それから窃盗にはいるのを断念して帰りかけて約四、五十米位も歩いた頃、後から懐中電灯が照らされ誰かと声をかけられた」旨の記載よりすれば鳥田巡査が被告人中園を発見して逮捕せんと企てた時刻は午前二時半頃とも推定出来る。
又本件殺害の場所は窃盗未遂の現場より南東約二百三十八米位の地点である即ち原審裁判所の検証調書(含添付図面)の記載によれば鳥田巡査が被告人を誰何した場所は窃盗未遂現場よりサロンパス工場の方に曲つた実距離を測定して約二百六十米の地点で直線距離にすれば南東約百四十五米位の地点であり、誰何された後被告人は逮捕を免れる為約九十三米位逃げた地点で鳥田巡査に追付かれ同所で同巡査を殺害したのであるから殺害の地点は窃盗未遂の現場より直線距離で僅かに二百三十八米位の地点である。
三、以上述べた処により明がなる如く本件殺害が窃盗未遂の現場近くに於て窃盗の犯行後間がない時刻に於て行われ被告人を本件窃盗未遂の犯人と見るにつき客観的にも主観的にも十分の証拠が存する情況下に於て烏田巡査は被告人中園を準現行犯人として逮捕せんとしたのである。被告人はその逮捕を免れる目的を以て殺害行為に出たものであると認定すべきに拘らず原審は単純なる殺人であると認定したのは採証上の方則を誤つたものと謂ふの外なきものと思科する。
第二点原判決は法令の適用に誤がある。
原判決は右第一の如く事実を誤認した結果、公訴事実第一の強盗殺人並に公務執行妨害罪につき当然刑法第二百四十条後段、刑法第九十五条を適用しなければならないのにかかわらず刑法第二百三十五条第二百四十三条(窃盗未遂)及第百九十九条を適用し公務執行妨害は成立せずとの見解から刑法第九十五条を適用しなかつたものである。なお原判決は本件強盗殺人の公訴事実中窃盗未遂の点を切り離して公訴事実の第二の盗犯等の防止及び処分に関する法律違反の常習特殊窃盗罪の一部として認定しているが、これも前述した事実誤認の結果であり元来本件第一の公訴事実たる強盗殺人罪と第二の公訴事実たる常習特殊窃盗罪とは全然別個の併合罪でありこの事は盗犯等の防止及処分に関する法律第二条に刑法第二百四十条の規定が掲げられていない点に徴しても明らかである。
被告人に於て自己を逮捕せんとした者が警察官であるとの認識を有していたかについても原審の各証拠により積極的に認めうる処であるから公務執行妨害罪として当然刑法第九十五条も適用すべき処これを為さず擬律錯誤に陥つているのである。
況んや警察職員がその抽象的職務権限に属する事項に関し法令の方式に遵拠してこれを行うものである限り、その職務執行の原因たる具体的事実を誤認し又は当該事実に対する法規の解釈適用を誤つたとしても、事実その職務の執行と信じてこれをなしたものであれば、それが著しく常規を逸したものでない限り、一応適法な職務執行行為と解すべきである(福岡高裁昭和二七、一〇、二判決、昭和二五、一二、一九東京高裁判決及び昭和二七、一、九福岡高裁判決参照)に於てをや。然して原判決のこれらの法令の適用に関する過誤は判決に影響を及ぼしていること明である故この点よりして原判決は破棄を免れないものと思料する。
第三点、原判決は刑の量定軽きに失するものがある。
(1) 本件は苟くも人命犯であり現職の警察官がその公務執行中殺害された事件である。証人西依シヅヱの証人訊問調書及び同鳥田三枝子の証人訊問調書の記載により明白な如く本件の窃盗事件は実害のない事件であつた、然るに鳥田巡査は本件の様な窃盗未遂の届出に対して、就寝中を深夜午前二時頃わざわざ起きて直ちに西依方まで急行し足跡を調査し直ちに犯人捜査に着手したのであり同巡査の職務熱心さとその責任感に対してはまことに敬服の外はない。強いて云えばこの執務熱心さが本件の被害をもたらしたとも云えるものであり全く同情に堪えない。被告人を逮捕するに当り人権を尊重して所携の棒も使用せず素手で逮捕せんとして被告人が裸で汗みどろになり、いわば鰻みたいになつていた為、その柔道二段の実力を発揮する余地もなく組敷かれ死んで行つた鳥田巡査にしてみれば嘸かしこの上もなく無念至極であつただらう事が推測され同巡査の心情を察する時断腸の思いがする。なお又被害者の妻鳥田三枝子未亡人にして見れば年若くして夫と死別し十才、四才、二才の三人の子供をこれから育ててゆかねばならずなみなみならぬ苦労がある事が予想される。暫らくは世間の同情と幾何かの遺族補償金によりどうにかやつて行けるであらうが、行先長い人生航路に於て女手一つではこれから相当の苦難が襲いかかつてくるであらう事が推察される。
(2) 本件は故意犯であり殺害の方法が極めて惨忍きわまりない犯行である。
被告人の検察官調書に「自分はその警察の人と思はれる人の顔を力任せに泥水の中に押えつけている時、その人は二、三回頭を持ち上げて空気を吸おうとして最初の中もがいていた足や胴体を最初の中はバタバタさせておられ苦しがつて必死にもがいていた。押えつけている時、自分はこのように泥水の中に顔を押えつけておればその警察の人が死ぬかも知れないと云う事は充分判つていたが逃げるのに一生けん命だつたのでその人が死んでもかまわぬ止むを得んと思い乍らただ力まかせに押えつけていた。五分間位も水の中に押えつけていたらやがてその人はぐつたりとして泥水の中に動かなくなつてしまつた。それで参つたなあ、死んでしまつたなあと考えた」旨の記載がある通り本件は、殺害の故意犯である。当時本件水田の中には常時二寸乃至三寸の深さに水がたまつていたのであるから、このような水中に顔を押えつけて呼吸が出来なくなつてバタバタ手足を動かしてもがき苦しがつているのにもかまわず、あくまでも押えつけていたのであり、鳥田巡査が三十八才の男盛りで而も柔道二段の猛者である点よりみても相当強く渾身の力を以て押えつけていなければ死亡する筈はない点よりして見ればかかる事は殺害の故意なくしては出来ない事であり全く鬼畜の仕業としか認められない。
(3) 被告人には本件以前にも警察官に対し此の種暴行をなした事実があり且つ常習窃盗犯であつた点を見る時鳥田巡査でなくとも何時かは警察官が殉職したであらう事が推定される。被告人には検察事務官作成の前科調書記載の如く昭和二十七年一月三十日鳥栖簡裁で窃盗罪により懲役一年六月、三年間執行猶予に処せられた前科があるが、此の事件の窃盗の現行犯人として昭和二十六年十一月同じく鳥栖地区警察署田代警部補派出所所員であつた被害者鳥田巡査が夜間警羅中逮捕せんとしたる際も逃走し警察官に相当抵抗した実情にあり、この時の手口と、本件の手口とが同一である事から実は本件捜査の足もつき端緒となつた次第である。斯くの如く警察官に抵抗を繰り返えすような被告人であり且被告人の検察官並に司法警察員に対する各供述調書の各記載及び田中オツム、田中昭治、中園光徳の検察官並に司法警察員に対する各供述調書の各記載に徴し明らかな如く、本年五月末頃から「久留米市の会社に就職した夜勤だ」と称し、毎週木曜日、日曜日以外は毎日午后六時頃家を出て翌朝未明午前五時頃帰宅し本件犯行当日に至る間窃盗行為を常習的に反復継続していたような情況下にあるので仮りに鳥田巡査でなくとも何時かは、この被告人の為警察官が必らずや殉職したであらう事が想い起され、斯く考えるとまことに慄然たらざるを得ない。
(4) 被告人は九州大学長菊池勇夫作成の捜査関係事項照会書回答書の記載及び被告人の司法警察員に対する供述調書の記載により明かな如く学歴も一高九大卒と詐称して鳥栖公安委員になりすましていたような実情にあり学歴を詐称するような風では余り好ましい人物とは云えない。
第四点以上の諸点に鑑みて本件に対しては強盗殺人、公務執行妨害並に常習特殊窃盗として検察官求刑通り無期懲役の言渡あるべきが相当であり原判決は事実誤認、法令の適用に誤りがあり刑の量定又軽きに失するものとして破棄を求むるため控訴に及んだ次第である。
被告人の控訴趣意
控訴致しました理由は原審に於ける私の供述書が真相と重大なる相違が有つたために誤審されたと思つたからで有ります。私の供述書は部下を思ふ上官や同僚を偲ぶ係官連が私を極悪犯人とする事が烏田刑事の勲功を高からしめるものとの謀略から私を強盗殺人犯と断定私の基本的人権等には一顧だにせず一方的に自由強要されたもので有ります。
事件当夜私に殺意のなかつた事は原審でも述べましたが今一度簡単に述べますれば、その晩は犬の大変吠へる晩でしたので夜明近くでは有り私は帰る可現場附近の作道に来た時私の前方約二十米位の所に懐中電燈を照した人影を見留ましたので私は道横の畑に隠れんとした処、誰かと呼びつつ追跡されたので私は二、三度転倒しながら逃げ水田の中で又倒れました処をその人は私の背後から私に抱き付かれました私は泥水を呑み苦しく無我無中で格闘致したので有ります。
その間何分程格闘致したものか確かな記憶は有りませんが瞬間的な出来事で私が意識した時にはその人は抵抗力なく私はその人の背中を横の方から寝た侭押えて居りました、私はその人が動かなくなつたので驚き遺留品の事等考える余猶もなく逃走したので有ります、然しまさかその人が死亡されたとは思いませんでしたが心配でならず私は苦悩の日を送つた次第で有りました今でも夢の様です。「註当時私達二人は相当起伏の有る所を百米近くも一生懸命に走つて居ますので呼吸困難を来たしその上格闘致して居りますので吸引時に倒れれば泥水を呑み窒息それが死因となる事も有り得ると思います鳥田刑事と私とでは年令的にも体力の上からも相違甚だしく且私の右腕は負傷手術後機能不充分で検事の論告の如く無抵抗の女か子供を押える如くには行かないので有ります。此点は特に留意して戴き度」その後私が逮捕されてからその人が鳥田刑事と云ふ模範警察官で有つたと聞き遺族の方や鳥田刑事の霊に対し誠に申訳なき事をした悔悟の念や私の子供等の将来を考え興奮致し我身はどの様になつても良い此上は鳥田刑事の勲功が社会に見留られる様にとのみ思つて居りました。その時事件当夜田代町西依某方に窃盗未遂事件が有り鳥田刑事はその捜査に出て居られ私と出逢い遭難されたと聞かされその西依宅に侵入したのは君で有らうと再三尋問されましたが私は身に憶えが有りませんので否認していました処が実地検証の有つた日だと思います県の捜査課長、下村鳥栖署長、永田警部、松尾警部、其他から尋問を受け鳥田刑事が慢然君と出逢い遭難したのでは鳥田刑事は犬死で実に可愛想だ君は西依宅に侵つたと云つてもそこでは何一つ取られている訳ではないので大した罪の差はない只鳥田刑事の職務熱心で有つたと云ふ事が立証されるだけだから認めてくれと頼まれ私も前に述べた様な心境では有り不本意ながら認めた様な訳でした、然し私は全然その家も事情も知らないので永田、松尾両警部等と計り道順状況等田代警部補派出所と電話連絡を取り供述書を作成したので有ります。
それから八月二日かと思います県警察本部で永田警部より今度鳥田刑事の叙勲を申請するのにその時の状況書を提出せねばならないから今一度話してくれ此は公刑には何等関係しないから鳥田刑事の有利になる様頼むと云われ永田警部殿には私は子供の事や何やかと御世話になつて居る事故永田警部の意の如く書いて貰らつた訳でしたそれが後日検察庁で取調べの時出され私の意に反した供述書が創作された訳で有ります。
以上を綜合して見ます時始から私を陥入れる可計画されたもので一例を取れば小さな棺に大きな死体を無理に納めんと頭を切り手を曲げ足を折つた様な供述書と思います私一人なればそれも宿命と諦めもしませうが多くの子供や近親者が世間の冷眼に此から永久に職業に生活に有形無形の罪に呻吟せねばならぬ事を思ふ時私は真実公正な裁きをして頂き度いと思考した様な訳で御座います。真理に二つなし私は神に誓つて祈願した様な訳で御座います乞願わくば事実審理をして戴き度いと思います。